春・日本の南端を巡る旅 ~沖縄・南九州ツアー~

春・日本の南端を巡る旅 ~沖縄・南九州ツアー~

:前田(Ⅲ,企),辻井(Ⅰ),調枝(Ⅲ),土肥さん(MⅡ),南竹(Ⅰ,九州のみ)

()内は当時の回生


春休み,約三週間程かけて日本の一番南の八重山諸島と沖縄本島,そして九州南部を旅してきました.僕にとって沖縄は初めて.島々からなり,本土とは少し違った歴史や気候を有するこの地で出会うものはどれもとても新鮮だった.綺麗な海,珍しい植物,そして人々の生活….そんなこのツアーの日々を振り返ってみようと思う.





日本最西端・与那国島西崎にて










メンバー紹介

辻井(Ⅰ,農) 目指す場所があればたとえどんな峠でもガンガン走る一回生.このツアーの原動力.

調枝(Ⅲ,農) 三回生より入部.とても働き者.八重山諸島まで.

与那国島

小浜島

宮古島・沖縄本島⇗

肥さん(MⅡ,理) 大先輩のベテランサイクリスト,そして部内随一の離島・船好き.沖縄本島まで.

(Ⅰ,工) 九州で合流.走りに,勉学に,そして酒に

い一回生.

西表島

石垣島

台湾まで100km余り!!

(Ⅲ,理) このツアーを企画しました.これを書いて

いる人.

黒島


-

竹富島

-----☆★☆八重山諸島編★☆★ :調枝------

波照間島

(2/14-21)

2/14 京都→石垣島→西表島

4時にBox集合。阪急河原町から始発で伊丹空港に向かい、飛行機輪行で石垣島に飛ぶ。機内放送で石垣島の天気が伝えられたのだけど、「ただいまの石垣島の気温は22℃です。」と聞いてビックリ。

石垣空港に着いてからも予想外の暑さに「暑い暑い。」と言いながら、買出しを済ませてフェリー乗り場に行く。石垣空港から市街地に向かっている時に垢抜けた感じのアパートを見つけて、また、買出しのために寄ったMaxValuを見て、日本も均一化して便利になったな、と思った。

高速船で西表島・大原港に行って、南側の南風見田(はみえだ)のキャンプ場で泊まる。夜の7時まで明るいのにまたビックリ。

キャンプ場にて,炭で火を起こす

のキャンプ場には、そこに暮らしているのかと思えるような人がいた。しばらくするとキャンプ場の所有者が現れる。二人にいろいろ聞かれて、「西表島は明日1日で回る予定だ」と答えると、二人とも「もっといろ」とひどく勧める。翌日は島の北側の上原港から石垣島に戻る予定だったのだが、その港は海が荒れやすくフェリーが出にくいらしい。そのため次の日はキャンプ場に荷物をデポって、島を回ることになった。西表島の外周は道路が一周していないため、ピストンになって100kmぐらい走ることになった。

2/15 西表島内;南風見田→白浜港→マリュドゥの滝→由布島→南風見田

215を走って島の東側を北上する。古見の辺りでサキシマスオウノキ群落を見る。板状の根が珍しかった。その後も、由布島やマングローブ林を眺めながら島を回る。道路上に東経123456,789の子午線モニュメントがあったり、もう水を張った水田が見えたりした。5月ぐらいの陽気だと思っていたら本当に田植えの準備をしていて驚いた。

島の西側、道路の途絶える白浜港に着くとピストン。

マリュドゥの滝

って浦内川をボートで上り、マリュドゥの滝を見る。その後は由布島に渡る水牛車の時間に間に合うようにひたすら走る。途中で水不足になるも、小銭がなかったので自販機を見つけても何も買えず、しばらく睨みつけてやったけど自販機はなんのリアクションもしてくれなかった。仕方なく走り続け、しんどくなりながらもぎりぎりで間に合う。

由布島は、昔は人が住んでいたらしいのだけど、現在は島全体が観光地化しているようだった。水牛車で由布島に渡ると、トロピカルジュースがただで飲めた。滞在時間が短かったのが残念だった。最終便の水牛車に乗って戻る時、ちょっと水牛が暴走して冷や冷やした。

水牛車に揺られて由布島へ

ャンプ場の荷物を取りに行き、大原港からフェリーで石垣島に戻るという案もあったのだけど、結局西表島にもう一泊することになった。


2/16 石垣島→波照間島→石垣島

朝の便で石垣島へ戻り、今度は波照間島に向かった。フェリーの揺れがひどく、船内で昼食を食べたら舌を噛みそうになった。その揺れは絶叫マシンのようで楽しかった。

波照間島は有人の島としては日本最南端である。従って、自販機がある島としても最南端となるはず。波照間島灯台、日本最南端の碑などを回りながら、自販機を探す。そして波照間空港において、そこを日本最南端の自販機と(勝手に断定)して、日本最南端ジャンが行われた。結果、辻井君の負けでした。

照間島は海がきれいだった。サンゴのかけらが敷き詰められた浜があったり、道路の先に海が開けて見えたり。海の色がエメラルドグリーンだった。

沖縄一といわれる波照間島のニシハマビーチ

の後、石垣島に戻って唐人墓をテン場とする。墓碑を中心とした公園のようになっていて、火を起こすこと、寝ることがためらわれた。翌日には与那国島に行く予定だったのでなるべく市街地の近くにテン張らないといけなかったから、仕方がなかったのだけど。ここで僕はお尻が光る毛虫を見つけたのだけど、あれはどうやら蛍の幼虫だったらしい。


2/17 石垣島→与那国島内;外周を一周

1週間で2便しかないフェリーで与那国島へ向かった。着くともう午後3時になっていた。早速、安宿に荷物を置いて島の外周を一周した。

日本最西端の西崎(いりざき)の灯台やドラマ「Dr.コトー」ロケ地の診療所などに行った。島の東側には牛や馬が放し飼いされていて、そこら中に排泄物が…。海風を受けながらチャリをこいでいく。そして、路上には乾燥した排泄物…。ひょっとして、自分達は乾燥して風に乗ったものを吸っていやしないか?と、ちらりと考えたけど、深く考えないようにした。

日本最後の夕日

の後、軍艦岩、東崎(あがりざき)を見た後、島の西側へと急いだ。

日を、西崎に沈む構図で見たくて「日本最後の夕日が見える丘」を目指したけど、若干間に合わなかった。着いた時には夕日が沈んでいて、空の一部が淡くオレンジ色になっているだけだった。

そして、行われたのはもちろん、最南端に続いて最西端ジャン。負けたのは前田君。ごちそうさん。

夜は、宿のご主人一家や他の宿泊客と、お酒を飲みながらいろいろな話をして過ごした。バイクで日本を一周している人や、京都の寺を脱走してきた人、家出少年、フリーターでサトウキビ刈りのバイトをしに来た人など、いろいろな人がいた。ここでも、「明日はもう少し島を見て回ったら、飛行機で帰る。」と言うと、「そんなに早く帰っちゃうの?」と宿の主人が言い出した。

「与那国島の良いところをもっと見ていって欲しい!」

と言われて、少しタジタジしてしまった。

翌日に飛行機で石垣島に帰るか、翌々日のフェリーを待つかを話し合った。土肥さんはフェリーが良いようなことを言った。「それはフェリー乗船回数が稼げるからですか?」と思ったけど口には出さなかった。誰も反対しないので、翌日ももう一泊することが決定。飛行機に乗るとガス缶を捨てなければいけなかった。もったいなやもったいなや。

僕は飲み過ぎてはいけないと思って、シャワーを浴びたら眠いふりをしてすぐに寝てしまった。1度、騒がしいので目を覚ました。土肥さんが飲み過ぎたらしかった。何が起きていたのかは容易に想像ができた。


ちなみにマップルには、「与那国島では原則的にキャンプ禁止」と書かれているけど、宿の主人の話ではキャンプをしても全然構わないらしい。テン場に向いている場所も結構あった。しかし、宿に泊まると良い経験ができることもあるように思う。


2/18 与那国島内;久部良→与那国空港→宇良部岳→イランダ林道→久部良

昨晩は宿の主人がいろいろ話をしてくれて、与那国島を案内してくれるはずになっていたのだけど、朝になっても主人は現れなかった。結局10時前に出発。

那国空港でスタンプを押して、アヤミハビル館という博物館に行って、宇良部岳や林道を走った。宇良部岳は短かったけど傾斜がきつかった。

久部良荘の人たちと

(バーベキュー後)

も、それだけやっても14時には宿に戻ってしまった。今後の行程について話し合ったたり、だらだらしたりして過ごした。そのうち宿の主人が戻ってきてテレビを見せてくれたのだけど、映っていたのが「忍たま乱太郎」の台湾放送版だったので笑えた。言っていることが全然分からない。台湾が近いのでこんな番組が見られるらしい。向こうでは忍たま乱太郎は民放で放映されているようだった。

夜は宿の主人がバーベキューを開いてくれた。ヘッドランプが活躍した。やはりヘドランは重要だと思った。


2/19 与那国島→石垣島内;御神岬→川平湾→於茂登トンネル→県道211→伊野田

はフェリーが出発する時間まで、久部良荘の人たちとサトウキビ狩りの体験をした。採ったばかりのサトウキビを搾って、ジュースにして飲ませてもらった。甘かった。また、絞る過程を簡便化したためらしいけど、少し青臭かった。

フェリーに乗る前に、前田君は郵便局に寄ると言っていなくなったけど、なかなか現れない。ぎりぎりで乗船。石垣島へと向かった。船内で寝転びながら、携帯電話で定時連絡に投稿する文を打っていたら、船酔いした。船では酔わないと思っていたのにしんどかった。

到着後、御神岬と川平湾に行った。テン場予定地の米原に着いたのが7時くらいだったか。でも着いてわかったのが、水が出ない!冬季閉鎖中は水を止めてしまうようだ。

雨の中をナイトランして走った。ナイトランで行く当てもなく、うろうろした。僕は1人、水の代わりにサトウキビジュースを使うという妄想をしていた。サトウキビジュースで作ったご飯、汁。ダメだな。

結局、伊野田キャンプ場に着いたのが夜10時で、就寝は日付が変わる頃になった。


2/20 伊野田→玉取崎展望台→平久保崎灯台→桴海→??林道

朝早く、サトウキビジュースを飲もうとしたら、あまりの味に吹き出してしまった。駄目になるのが早いとは聞いていたけどこんなに早いとは…。仕方なく草木の肥料にした。宿のご主人、本当にごめんなさい。

キャンプ場に荷物をデポって、石垣島北部を回る。平久保崎灯台に行き、今度は米原の方へ行く。昨晩通った道と繋がって、これからどうしようか時になって僕はある事に気付いた。昼米を忘れていた。キャンプ場に戻ることになった。帰りは林道を通った。キャンプ場に戻った後、食事を取った。

その後は買出し時間までフリーということで、荷物を持ってそれぞれ市街地へ向かった。お土産を選んだりして過ごした。市街地で買出しをして、唐人墓の近くの海辺の東屋をテン場とした。


2/21 石垣島→黒島→小浜島→竹富島→石垣島

黒島、小浜島、竹富島の順で島々を回った。この日だけで船に5回も乗った。回る島を3つにするか、2つにするかという話もあったのだけど、結局3つとも回ったため、1つの島に滞在できる時間が少なくなってしまった。

黒島にて,牛がいっぱい

島では黒島灯台や、展望台、日本の道100選に選ばれた道を見て回った。黒島展望台はこれで展望台と名乗って良いのか?と疑問を持つような、あまり高くないシロモノだった。牛がかわいかった。フェリーの待合室で話をしていたおばあさん達の会話が全然分からなくて、まだ日本も均一化されていない、まだまだ自分には知らない側面がある、と感動した。

小浜島は大岳(うふだき)に登ったり、ちゅらさん展望台に行ったりした。時間がなかったのだけれど、辻井君と二人で道に迷ってしまった。適当に行ってたらなんとか船着場に戻れた。

富島はいくつかの浜を見た。パックツアーの観光ガイドの説明を聞いて星砂を探したりもした。また、昔の八重山諸島の家はみんなこうだったのかと思えるような、古い町並みを見て回った。

石垣島に戻った後、八重山そばを食べた。幻の泡盛「泡波」というものがあるらしいのだけど、その店では泡波が1グラス1500円だった…。土肥さんに、「自分でお金を稼ぐようになったら飲めばいい。」と言われて諦めた。

翌日に乗る那覇行きフェリーが朝早く出るので、この日はその乗り場近くの公園をテン場にした。本当に街中の公園で、夜になっても明るいし、ランニングやヨーヨーの練習をしている人がいたりして、いづらかった。寝ている時も何か運動を終えたばかりなのか、荒い息をしている人がいて起きてしまった。こっちが引くぐらい息が荒くて怪しい人だったけど、一応「こんな所で寝てすみません。」とかなんとか、眠いながらも言っといた。


道中あれこれ

さーたーあんだぎー;沖縄の揚げ菓子;前田君お気に入りの行動食。僕はあんまり好きじゃなかった。

じゅーしーかまぼこ;じゅーしーとは沖縄の炊き込みご飯。その炊き込みご飯をかまぼこで包み、油で揚げたもの。

泡盛;沖縄の特産品。度数が60%のものもある。3年以上貯蔵したものは古酒(クース)と呼ばれる。

灯台;辻井君が真っ先に目指す場所。

フェリー;離島への主な交通手段。土肥さんが何をおいても乗りたがる乗り物。

石敢當;沖縄のT字路、三叉路によく見られる魔除けの石標。

納豆;沖縄で売られていた納豆はなんと和歌山県で作られたものだった。おいしくなかった。

与那国島Dr.コトーのロケが行われたらしい。

久部良荘;お世話になった与那国の安宿。ご主人が人が良い。

サンニヌ台・軍艦岩(与那国島)NHK大河ドラマのロケが行われたことがあったらしい。

黒島牛祭り;日が合わなかったけど、2/23()に開催されていた。なんて魅力的な響き…。

小浜島;ちゅらさんのロケが行われたらしい。

星砂;有孔虫「ホシズナ」の遺骸が砂浜に打ち上げられた物。

提灯;辻井君が集めているお土産。

------☆★☆沖縄本島編★☆★ :前田------

(2/22-27)

2/22(Thu.) 石垣(フェリー)→ 那覇(新港) → 浦添

天気:

フェリーで一日くつろいだ後の悲劇…

市街地に程近い公園で寝ていたが,割と遅くまで人がいたが,幸い何のトラブルも無く朝を迎える.途中何度も目が覚めたように,天気は夜から大雨であり,雨の中フェリーターミナルへ向かう.輪行しているとフェリーに乗る客が続々と集まってくる.先にチケットを買っておこうと思ったら,チケット売り場はターミナルより少し戻ったところ.仕方なく雨の中引き返し,バイトの都合でこの日飛行機で帰る予定の調枝を除く3人分のチケットを買ってくる.調枝はテン場でもかなり働いてくれたし,同回生がいるということで班長である僕にとっては安心感を与えてくれる存在であっただけに,離脱してしまってこれから大丈夫だろうかと少し不安だった.

フェリーに乗って乗船手続きを済ませ,部屋へ向かう.二等の雑魚寝の部屋かと思っていたら相部屋ながら個室.人数分寝台がありユニットバスも付いている.残念ながらコインランドリーはないようだが,久しぶりにシャワーを浴びてゆっくりする.やはり結構揺れるので,寝るくらいしかすることは無いが….相部屋だから騒いだりも出来ないし.

このフェリーは台湾から来ており,石垣,宮古,那覇に寄港して名古屋へ向かう.宮古島到着が結構遅れていたが,那覇新港には予定通り20:45着到着.那覇の街の明かりが見えてくると,愈々沖縄本島にやってきたことを実感する.フェリーから降りると回りには何も無いので適当にコンテナのところで輪行解除.雨は辛うじて降っていないが,水たまりが多く,結局シュラフやら靴やらが結構濡れてしまった.輪行解除しながら乗ってきたフェリーを眺めてみるが,とても巨大なフェリーである.

フェリーがこんな時間に着いてくれるものだから,今日はもう寝る他仕方が無い.那覇市内はテン張るには良くないと聞いていたので,明日から北に向かうこともあり,一つ北の浦添市を狙うことにした.市役所近くに公園らしきものがありそうなのでそのあたりを目指すが,夜もいい時間なのにかなり車が多いし,R58を抜け県道に入ると起伏は多いし道も複雑で,まっすぐ行っているのにいつの間にか左に曲がっていたりする.苦戦を強いられつつも,運動公園を発見し,表側の東屋のところより裏側の体育館の軒下の方が人が来なさそうなのでそちらで寝ることに.既に22時を回っていたが結構ランニングをしている人が多い.まあ今晩は寝るだけだし,文句は言われまい,そう思ってマットを広げ,今日はシュラフカバーでいけるな,横になって寝ようとした途端,思いもよらぬ悲劇が訪れる.

「ここで寝ないでよ,警察呼びますよ.」

・じ・で….「はい」という他無い.ショックだった.テン場を追い出されたのは初めてだった.時刻は23時.よりによって何でこんな時間に….渋々片付け始める.土肥さんは牛歩戦術による抵抗作戦のためか,それとも単に管理人の声が聞こえていなかったためか,なかなか起きなかった.それどころか激アップを登って公園の入口で辻井と待っていてもなかなか来ない.戻ってみるとパンク修理のふりをしていたら逆に空気を入れ直すのに手間がかかっていたとのこと.管理人はどこかに行ったらしいが,これからどうしようと話しているとまたやってくる.「早く出て行け」としつこい.言われんでも出てくわ,と言い返してやりたかったが,争いを大きくしても仕方ないので不機嫌そうに返事をする.敢て長く留まって嫌がらせをしてやろうという土肥さん,そんなことしても仕方ないと早く休みたくていらいらしている辻井,こういう時ってどうすればいいか本当困る.結局少しだけ移動してまた公園を見つけるが,適当なところが見つからず,もう屋根無しでいいや,と思って寝ると少しして通り雨に遭い,最終的にはその公園の向かいのバス停で仮眠を取る程度になった.日付が変わっているのに尚車通りが多い.那覇では夜動き回る習慣があるみたいなことを聞いていたが,初日からそのことを思い知らされた.これだけ深夜徘徊が多ければ,運動公園で追い出されたように警備が厳しのも無理はないと感じられた.

この日フェリーで十分昼間休めていたことだけが幸いであった.

巨大な有村産業のフェリー(那覇新港にて)


2/23(Fri.) 浦添残破岬海洋博公園 今帰仁(なきじん) 天気:晴れ

麗な海・空・夕日とら海水族館の日

5時に起きてコンビニで朝食.夜が明けるのは八重山と同じく遅いが6時半には明るくなりだす.今までより15分~30分早いくらい.

残波岬灯台

初はR58を行く.片側三車線の立派な道.那覇方面へは渋滞だった.かなりの車文化である.ずっと飛ばして嘉手納に到着.そこから先ずは世界遺産の座喜味城跡を目指す.アーチ門が特徴らしい.琉球王国統一に関して重要な城だったようだが,城跡だけでは今一つ実感が湧かない.でも城は見晴らしのいいところに作られるもので,周囲の眺めはかなり良かった.次は少し北上して残波岬へ.この辺で丁度9時くらいになったので,土肥さんは帰りのフェリーの時間を電話で尋ねるが,その前に何と浦添市に昨日のことであまりに管理人の態度がひどかったと苦情の電話を入れる.流石に僕なら言えないな….それから灯台に登る.150也.階段を百段登って外に出ると凄い強風.でも天気はよくて,綺麗な海が印象的だった.これは本州ではなかなか見られないだろう.

て,灯台でまったりした後は北上して本島北部の中心地,名護を目指す.残波岬から少し行ったところに真栄田岬という岬がある.字は違えどマエダであるので行ってみたかったが何やら改修工事で岬まで行けず.もっと人に来てもらうために工事しているのに,工事中で入れないなんて本末転倒じゃないかと思いつつも諦めて先へ進む.許田をフリーの終点にしておいたが,その前に万座毛という景勝地があるようなので寄ってみると,まあ凄い観光客だった.チャチャッと見て回って先へ急ぐ.道は国道しかなく,アップダウンもあり大変だが,やはりどこをとっても沖縄の海は綺麗だった.

道の駅で昼食をとる.今日は米を炊いていなかったのでレストランで沖縄そばを食すが,値段もまあまあで,美味しくてやみつきになる.午後からは本部半島をぐるっとまわる.少しアップを入れようと国道を離れて県道244に行こうとしたが,入り口があまりにわかりにくく辻井が行き過ぎてしまったのでそのまま国道を行く.土肥さんは本部港を見て,更に橋で繋がった瀬底島にわざわざ上陸しに行かれたよう.流石,離島マニアです.次は海洋博公園を目指す.美ら海水族館に行くかどうか.休憩していたファミマでは割引券を売っている.でも時間も中途半端で出来れば又今度ゆっくり見たほうがいいと始めは思ったが,海洋博公園まで来てやっぱり行くことにした.少し戻って割引入場券を購入,そして水族館へ.実際に生き物を触れるコーナーや,巨大な水槽にジンベイザメ、マンタが泳いでたりして,なかなか面白かった.これは行って正解.ただ最後の深海魚のコーナーが,閉館時間になってしまって十分見ていられなかったのが残念.

海洋博公園を出た後は今帰仁を目指すのみだが,夕日が綺麗そうだったので,備瀬崎に行くことに.伊江島に沈む夕日を眺める.こんな綺麗な夕日は久しぶりだった.そして最後に今帰仁城跡からも夕日を眺めようと,チャリを走らせるが,流石に夕日には間に合わず.ここは桜の名所らしい.2月下旬,沖縄ではもう桜は開花している筈だったが,あまり見られなかった.まだ早かったのか,もう散ってしまったのか….みんな城跡を見るより桜探しに夢中だった.

十分に桜を見られなかったがもう暗くなってしまったのでさっさと買出しを探しつつ,運動公園に向かう.市街地の道がややこしく,土肥さんが道に迷われたりしたが,運動公園は水と東屋がすぐに見つかり,何とかなりそう.ただ,運動公園の入り口で,常駐している管理人のすぐそば.始めは黙認かと思いきや,寝る前になり交代の人がやってくると,寝てもいいと言われ,前日運動公園を追い出されてテン場恐怖症になっていた一行はほっとするが,火は使わないでと言われてしまった.晩飯は食べた後だからよかったけど,もう朝米仕込んじゃったし,どうしたらいいんやろ?


2/24(Sat.) 今帰仁辺戸岬 天気:晴れ

やんばるを巡る一日

5時に目を覚ますが火が使えないことにどう対処すべきか考えていなかったので起きる気になれなかった.暫くして土肥さんが動き出す.火器と米を少し離れたところまで運んで炊くことに.看板によると少し行ったところに東屋があるらしいが数百メートル行っても何も無いので仕方なく道端で炊く.車が来たらどうしようと焦り気味だったため,かなり中途半端な状態で米炊きを打ち切ってしまい,出来は最低.と何とかピンチを乗り切り,少し遅くなったが出発にこぎつけた.

ガジュマルの巨木.これで一本の木

日はひたすら北上して折り返し,行けるところまで.始めは土肥さんの希望で古宇利島へのフェリーが出ている運天港を見に行く.港があればすかさず見に行きたいという心理は僕が駅があらば寄りたくなるということに似ているのだろう.港に行くのはよかったが白い道を辿ったため途中で迷ってしまう.どうにか港らしきところに着くが,「運天漁港」と書いているのに,「ここからは古宇利島に行けません」と書かれている.どうやら古宇利大橋が完成したらしい.ちょっとした情報を手に入れ,また国道に戻って北を目指す.大宜味村に行くまでにR58から確かに古宇利島に橋が架かっているのが見えた.R58もここまで来ると大分交通量が減り,海も相変わらず綺麗で,なかなか快走出来た.宜名真トンネルの旧道を行って茅打ちバンタを見た後は辻井が与那国島の宿で見つけてきたパンフレットにある「金剛石林山」というところに行ってみる.本土には無い,亜熱帯性のカルスト地形で,沖縄随一の聖地らしい.切り立った斜面は凄い迫力で,少し登った展望台からは与論島がくっきり見渡せた.最後にガジュマルの巨木を見に行く.枝が地面に向かって伸びて,根になる,枝根目の仲間.八重山でよく見たマングローブと同じ種類.でも大きさは中途半端でなくでかい.

金剛石林山で見つけた辻井お気に入りのふんばりシーサー.→

残念ながら非売品.

は辺戸岬へ.ここでお昼を食べるが,冷え切った激芯米を今更食べる気になれず,今日も沖縄そばを食べることにした.この時点で既に14時を回っている.北部の東側は全くといっていい程何も無いので,少し急がねばならない.辺戸岬からR58の沖縄本島での終点,奥の集落へ.ここからR58が奄美大島に繋がっている.R58を走りきった達成感のためか,「共同売店発祥の地」らしいがその共同売店を訪れることも無く,県道に行ってしまった.ここから先はアップダウンが今までより激しくなる.途中,海が見えるところは結構景色がいいが途中山奥に入って行くとひたすらアップ.東村との境辺りはかなり山深い.こんな道を50km何とかは走りきって,暗くなるまでに東村の中心部に到着.テン場の当てが無かったが,役場の略向かいに特産品売り場があったので,ここにテン張る.この日は珍しく同業者が一人,テント泊していた.少し戻ったところにあった共同売店で適当に具材を買い足して,晩飯は昼米を雑炊にして復活させる.コンセントもあってなかなかいいテン場だった


2/25(Sun.) 海中道路ロードパーク中城(なかぐすく) 天気:/曇り

憧れの海中道路は雨...

日のメインディッシュは海中道路.でも天気はあまりよくなさそう.雨が降る前にアップダウンの多そうな区間を抜け,宜野座村に辿り着こうと急ぐが思ったより早く雨が降り出す.暫くコンビニと御無沙汰だったので,辺野古辺りで漸くコンビニを見つけてほっと一息.昨日の国頭村以来.(R58沿いは名護以北も意外とコンビニはあった)またファミマだった.沖縄ではかなり多い気がする.ファミマカード作るクラス.宜野座にたどり着くと,やっと街に来たという感じで,道路沿いも賑やかになって行くが,同時に雨もひどくなる.雨宿りしながら金武町,うるま市と抜けて,海中道路ロードパークを目指す.大分南に来ただけあって,昨日とは打って変わって風景は都会的になる.また,米軍基地の入り口があったので,これも沖縄らしいなと写真を撮ろうとすると,入り口の人に注意されてしまった.確かに注意書きに基地に関する一切の記録(写真やスケッチ)は禁止で,見つけたら没収するって書いていた.基地の中をおろか,周辺の写真ですら撮れないとは,なかなか厳重な警戒態勢だ.でも昨日通った東村境付近の県道の周りにあった基地なら人気も無かったし,写真を撮ってもわからない気がする.

昼くらいに,海中道路の真ん中の海の駅に到着.生憎の天気で,残念だったが,両側が海という中を走るのはやはり壮快だった.土肥さんが少し迷われたそうで,昼ごはんが少し遅くなってしまったが,午後は1時間くらいフリーにしてそのあたり見て回る.辻井は頑張って先端の伊計ビーチまで行ったよう.流石に僕は時間が無かったので宮城島に入る前までしか行けなかった.

海中道路

分雨も上がって,残るは勝連城跡を見た後南下してテン場を探す.郊外型の店が並ぶ典型的な通りを走ってとりあえずスーパーは見つける.しかしその後が問題.大分那覇の近くに来たので,下手なテン場だとまた追い出されかねない.県総合運動公園なるところにキャンプ場があるので言ってみるが,残念ながらテントを持っていないし,何より3人では料金が高すぎ.どうしようかと思っていると,一人のおじさんが声を掛けてくれた.京都から来たというと,昔京都の人にはお世話になったし,泊めてあげてもいいと言う.しかも家は中城にあり,南に向かっている僕らにとっては丁度いい場所.これは泊めてもらうしかないと早速連絡先を教えてもらい,近くまで行くが,どうも辻井は民泊が嫌らしい.幸いなことに,マップルにある吉の浦公園がテン張れそうだったので,そちらに変更することに.僕としては是非泊めてもらいたかったが,泊まってほそうにしておられるも仕方なく断る.なかなか心苦しい.

夜は結局雨は降らなかった.結局今日は丁度走っている間だけ雨が降っていたことになる.何と間の悪い雨.


2/26(Mon.) 中城喜屋武岬那覇 天気:晴れ

やっと戻ってきました,那覇へ

昨日とは打って変わったいい天気,朝日が綺麗だった.

土肥さんは今日で離脱.ファーストコンビニでお別れジャン(また僕が負ける),そして10時のフェリーに乗るべく,那覇方面へ.残る僕と辻井は本島一周を完成させるべく残る南側を回る.

ず知念岬へ.ここはシーサーのいる灯台があるらしいが,灯台自体が見当たらない.気を取り直してその向かいの斎場御嶽(せーふぁうたき)を観光.沖縄一の聖地らしい.これまで御嶽と呼ばれるものを幾つか見てきたが,沖縄に於ける信仰の場,つまり神社のようなものらしい.聖地といっても大きな建物があるわけでなく,切り立った岩がどんとあっただけ.そんな自然に畏敬の念を持って崇めるというのは本土も同じだなぁと思う.

斎場御嶽

の後,僕は名水に寄った後,平和祈念公園へ.この公園には沖縄戦での戦没者の名が一人ずつ刻まれていて,戦争の悲劇を生々しく残していた.また,都道府県毎に「…の塔」という碑が建てられていて,僕の出身地の「近江の塔」はあったが辻井の出身地の奈良のものは無かった.次に行ったひめゆりの塔は流石,修学旅行の学生を始め,人だらけだった.そして本島の南端,喜屋武岬を目指す.地図で見ると,喜屋武岬より荒崎という岬がより南にある.とりあえずその荒崎に行って見るが,浜に出ても特に何も無いのでさっさと喜屋武岬へ.岬までの道のりはあちこち曲がりくねっていて意外と長かった.こちらには平和の塔なるものはあるが,最南端とは特に書かれていない.結局どうなんだろう.

日本最南端のゆいレール 赤嶺駅

日も昼は外食するつもりだったが,適当な店が見つからなかったので糸満市街で解散にし,18時に那覇に集合ということにした.那覇市内に入ると先ず最近開通したゆいレールが姿を現す.このモノレールにより,日本の最南端・最西端の駅はそれぞれ赤嶺駅,那覇空港駅に変わったのであるが,その最南端の赤嶺駅に寄ってみる.駅にはしっかりと「日本最南端の駅」の碑が.久しぶりの鉄分を補充し,元気になって那覇市内へ入って行く.先ず郵便局に寄って,それからネットカフェに行き,お土産を買って,と大忙し.ネットカフェには遊びに行くのでなく,奨学金の継続願いをインターネットで出願せねばならず,その期間が丁度このツアーと被っていたのでこうしてネットカフェに行かなければならないのだ.ネットカフェに行くのは初めてだったが,僕が行ったところはソフトクリーム食べ放題で,かなり居心地がいい.ツアー中だと特にやみつきになりそう.用を済ませ,市内の安宿情報を調べた後は急いでお土産を買いに国際通りへ.かなりの人通り.店も沢山あるし土産もいろいろ売っていてあまり時間が無かったので何かと混乱しながら土産を買って集合場所の県庁前へ.何やら変なおっさんに話しかけられつつ,宿の予約をして早速行ってみる.ドミトリーで一泊¥1,000.沖縄ならではの安さ.併設の食堂で夕食を食べて,土産を送り,沖縄最後の夜をこれまでを振り返り,そしてこれからの九州ステージへの期待を寄せなら過ごす.本当疲れた.


2/27(Tue.) 那覇(飛行機)→ 鹿児島空港姶良 天気:晴れ のち 雨

さようなら沖縄,そして九州上陸,でも温泉までの道のりは険し

今日は13時空港集合にして自由行動.

那覇市内に来たことのある辻井は足早に空港に向かったよう.僕は沖縄のアイスクリームメーカー「ブルーシール」の本店に凄いアイスがあると聞いていたので行ってみたが案の定朝早くてまだ開いていない.仕方なく諦めて首里を目指す.アップダウンを繰り返す住宅地を走り抜け,首里城跡に到着.駐輪場にはこれまたツーリングスタイルのチャリが何台も.これまであまり見かけなかったが,沖縄に走りに来る人も結構いるようだ.

首里城は第二次世界大戦で破壊されたため再建されたものであるが,結構大きく,かなり立派だった.それに対して入り口の守礼門は所謂「三大がっかり」の一つに数えられているようだが,確かに,始めてみた感想は「えっ,これ?」って感じで,がっかりとまでは行かなかったが「三大がっかり」の一つであるのも理解出来なくはなかった.首里城は沖縄の歴史を語る重要な史料であるのに,戦争でなくなってしまい非常に残念に思うし,戦争で人が傷つけられるだけでなく,歴史も踏みにじられてしまうことを感じ,昨日とは別の形で戦争の虚しさ知った.

首里城に来るまでにいろいろ寄り道していたため,あまり時間が無く,少し駆け足になってしまったが首里城跡を後にしてゆいレールの首里駅を目指す.そう,輪行して空港に行くのだ.大急ぎで飛行機輪行の体勢にしてモノレールに乗り込む.自動改札も広くて通りやすく,那覇の市街地が見渡せ,なかなか楽しかった.

空港で辻井と合流,チケットを買って少し時間があったので最後にそばをもう一度食べたかったが空港価格だし,時間がかかるとまずいので断念.売店やらをぶらぶらして搭乗口へ.機内への案内を待っていると,東京行きの便に乗る人が大勢並んでいる.飛行機を見てみると,これから乗る鹿児島行きの飛行機がまるで模型みたいに小さく見えた.沖縄本島は快晴だったので,周囲の島々がくっきり見える.飛行機輪はこれで3回目になるが,3回目にして漸く景色を楽しむことが出来た.しかしそれも束の間で,与論島くらいまでは見えたがそれ以北は雲がかかり,九州に着くまで島は全く見えなかった.

あっという間のフライトを追え,鹿児島空港に到着.こちらは雨.輪行解除して加治木市街に下って買出し,そして宮崎から走ってきた南竹と合流するため久しぶりの温泉を目指すが,行こうとしたところがなかなか見当たらず(結局この日は営業していなかった),テン張ろうとしていた運動公園も夜は閉まることが発覚し,九州上陸早々途方に暮れる.とりあえずR10にまた戻って,最寄の重富駅で南竹と合流.駅はまだ駅員がいるのでテン張れなかったが,幸いにして近くにテン張れそうな公園を発見.温泉には入れなかったが久しぶりにレールの音を聞きながらカレーを食べて就寝.流石に九州まで来るとちょっと夜は肌寒くなってきたり.

というわけで,旅は九州編に続くのであります.九州では1回生(当時)の二人に行程を任していたので,後は辻井くんに書いてもらいます.

------☆★☆南九州編★☆★ :辻井------

(2/27-3/8)

月27日 那覇~鹿児島空港

この日は昼間でフリー。僕は国際通りをぶらぶらして少し早く那覇空港へ。鹿児島空港までは1時間30分くらいで寝て起きたら、すでに着陸10分前でビびった。

今日は南竹との合流予定で、先に夕飯の買い出しへ。合流場所の温泉に行こうとするが道に迷い見つけられないまま日が暮れる。間違って運動公園にムダップしたどり着くと、南竹からは「温泉今日は休業日みたいやで」とメールが入り、今度は駅に待ち合わせすることに。ようやく合流しテン場探しに。幸いにも近くに好てん場があったものの、夜中僕だけ警察に起こされ、いろいろ聞かれるハメに。しかも「1週間前からいるそうやなぁ」とかいわれたし。意味不明。


2月28日 鹿児島~知覧~池田湖~徳光神社

朝目覚めると、意外と冷えてることに驚く。近くには散歩のおばちゃん二人組が五月蠅い。久しぶりに見た朝日は格別なものがあった。九州ステージの始まりにはふさわしい。まずは国道10号で鹿児島まで。南竹にひっぱってもらう。めっちゃはやかったし。景色は最高。朝日に照らされた桜島がかっこよくそびえていた。鹿児島に今年度これで3回目である。見慣れた風景。屋久島の時は大雨やったなぁなどと懐かしく思いながらフリーの終点まで走る。その後、僕の行きたかった町知覧へ。指宿スカイラインは気になったけど、行程に合わずパス。でも県道17からの開聞岳や池田湖からの開聞岳は綺麗でした。そしてこの日はテン場探しに苦労した。この辺ほとんど何もなく、畑が広がるだけ。相当迷い地元の人に教えてもらった神社でテン場ることに・・・

テン場にした公園にあったさつまいも発祥の地の碑と夕焼けの開聞岳→


3月1日 山川~根占~さたディ号乗り場

朝フェリーまで時間があったのでとりあえず開聞岳を一周することに。入り口にはマップルに書いてあるとおり不気味なトンネルが続いていた。光なし、路面簡易舗装で怖い。一応おすすめロードだが、見えるのは海越しに見える野間半島で、開聞岳はほとんど見えず・・・。その後フェリーの時間までフリー。僕と南竹は山川駅で18切符購入後待合室でウダウダ。昼めしくってフェリーに乗り込み、根占到着。海岸線をひたすら走ったと思ったら今度は結構アップしてようやく佐多岬の入り口に到着。せっかく風呂は入れるとこあったのに無視して先に進む。この先はありえんくらいの激坂で、みなさんひーひーいってた。無事テン場到着。今日は波が荒い。管理人らしき人が来る。ごみの処理をちゃんとするということを条件にキャンプを許可してもらえた。いい人。


3月2日 佐多岬~意味不明な県道~道の駅

佐多岬にて

よいよ佐多岬早朝アタック開始。まだ暗かったのでゲートまで何度か道迷うも無事ゲートを越える。岬までは、緩やかなアップが続く。まだ暗い。岬までは結構歩く。まだ暗い。岬到着。まだちょっと暗い。ようやく朝日が昇り始める。灯台は離れ小島の上にあり、情緒あふれている。記念撮影して退散。帰り道行きは気づかなかったが、猿の糞が山ほど転がっていた。その後今日の行程で一番しんどい道の県道へ。正直ありえへん。500~600アップしたと思ったら、また海抜0メートル地点まで戻るという作業を3回くらいした。しかもこの行程中道はとても狭いにもかかわらず見た車はバス1台。何でこんなとこにバスが走ってんねんとつっこみを入れながら走る。地元民によると週1回お年寄り達を病院に連れて行ったり、買い出しに連れて行くのだそうだ。ようやく県道を抜けるも時間はとっくに昼の2時を過ぎていて、やっと昼食。その後は内之浦のロケットの資料館へ行ったり、やたら工事現場の多い海岸線を爆走して道の駅に。久しぶりの温泉。沖縄では全く温泉に入れず、九州では入れるやろうと当初思っていたが実際このときが九州初めての温泉。テン場では、おっさんが話しかけてきたが、相手は南竹に任して就寝。


3月3日 道の駅くにの松原大崎~不死鳥道

日南フェニックスロード→

がすがしい朝。コンビニでジャン。前田さん負ける。この日の行程は全海岸線。まずは都井岬まで。結構疲れる。同業者に会う。猿に会う。ウマに会う。白蛇に会う。ちなみに白蛇までは、意味わからん激坂を登った。都井岬は見えているもののそこまでの道も見えているのですごく萎える。激ダウンのあと激アップ。都井岬からは展望良し。天気も良く昨日走ってきた場所も見えた。今日道の駅までいけるんかなと思いつつ駐車場で昼食。日南不死鳥道へ。緩いアップダウンを繰り返し、道の由来を考えていると、解答が浮かぶ。きっとアップの頂上に達することで、一度死ぬがその後のダウンで不死鳥のごとくよみがえるからだ。道の駅南郷の手前で不死鳥道の石碑が・・・これはいたずらなのか、それとも業者がウケをねらったのだろうか・・・道の駅まではフリー。僕は鵜戸神宮へ。神宮へ向かう途中。どっかの大学のサイクリング部の人たちとすれ違う。鵜戸神宮は安産の神様いるそうで、カップルだらけだった。しかし臆せず、奥へ進む。そこにはマップル冒頭の写真集に載っている有名な風景と同じ所が。打ち付ける波がすごかった。鵜戸神宮を満喫した後、県道のトンネルでまたもさっきのサイクリング部の人たちとすれ違う。さっきは向こうが気づいていなっかたようだが今度は挨拶する。愛想良く返してくださる。が向こうの女の子は僕のパッキングを見てわぁすごいといっていた。なにしろ向こうは、サイドバックとかでいかにも正統派であるに対し、こっちはデカザックに鍋、おまけにその日天気が良かったから洗濯した即乾ティー、下着をくくりつけていたからだ。ちょっと恥ずかしく思いつつ海岸線を爆走して道の駅に急ぐ。途中またしてもどっかのサイクリング部とすれ違う。パッキングから見てさっきと同大学と推測。道の駅では、まだ観光客が多くて調理開始が遅れる。この日は満月でした。次の日から天気が怪しかったけどまだ大丈夫やろっ。知らんけど・・・


3月4日 道の駅不死鳥~えびの高原~京町温泉

霧島,県道480.ダートだったらもっと楽しそう

、地元のバイク親父達の五月蠅いバイク音で目が覚める。いい年して群れるとか最悪やし。不愉快なものBY的場さん。一発目のフリーで道をいきすぎ南竹とともに迷う。無事終点到着後はフリーと称しつつ3人で固まってなんちゃって班走行。その日の行程がまたも無理があるためマップルにのってる全フラットとかかれている道へ。はじめ微アップ、マップルの嘘つきと思いながらも走っていると、いきなりダウンが始まりその後ホントにフラットに。その後はえびの高原手前の御池の手前で昼食。食べていると目の前の国道をえらい軽装でしかもジーパンの兄ちゃんがマウンテンで通り過ぎた。昼食後走っているとさっきの兄ちゃんがかなりのんびりペースで走っていて挨拶して抜かす。霧島は夏合宿中村班でも訪れたが、今回はそのとき走らなかった道へ。いきなり激坂、しかも看板表示で9~11%と書かれていた。気温低いのに汗が噴き出す。ようやく中間地点の昔の霧島神宮があった場所に到着。ここからは御鉢が綺麗に見えた。ここでジャン。前田さん負ける。休憩を終えてえびの高原まで。途中でシカにあう。人間慣れしていて全く逃げる気配なし。夏、中村さんは置物と思ってシカにつっこみかけたっけ・・・この地点で5時前。ほんまは、前と違う道でおりたかったが雨も降りそうな天気だったため妥協してえびの方面へ。小林側には日本一怪しい公園(マップル参照)もありかなり行きたかった。えびのに下る道では、国道の二重ループも見えて夏は全く後ろ見なかったのでこんな風景やったんかと、同じ道でも違う景色が楽しめるんだなとサイクリング部に入って気づいたことを再確認できた気がする。えびの駅では前田さんが写真を何枚も撮り続けていた。この日のテン場は、前田班が利用した京町温泉駅。目の前には温泉もありいいところ。しかしこの日は晩飯の用意をしていたら不愉快なものbyまとばさんが・・・うざかったが幸い翌日が月曜で仕事があるとか話が聞こえてかえらはぁった。


3月5日 京町温泉~アポロ峠~二本杉峠~青空市場

ガスガスのR445二本杉峠

アポロ峠

ットしていたはずの目覚ましが鳴らなく始発の音で目覚める。今日の行程めちゃくちゃ長いのにと思いながらあわてて支度を始める。朝飯を食い終わりパッキングをしていると登校する高校生達が駅に集まってくる。その数100近く。ご苦労さん。その後フリーの終点人吉で僕と南竹は、矢岳経由で。前田さんは二重ループ経由で。人吉到着は10時過ぎ。次に目指すはアポロ峠。かなり広く綺麗な林道だった。でも峠まではかなり距離があり、峠のフェイクが何度もあるし、雨がふりそうな天気やし、精神的に萎える。峠到着。噂の峠の由来を確認。アポロ11号が月面着陸した人同じ日にブルドーザーが峠に達したからだそうです。この地点で12時をまわっていた。距離短縮のためダートで国道に合流することに。しかしこのダートがくせ者で支線が無数にあり、完全に迷う。ようやく舗装路に出るもどこにいるか全くわからず・・・とりあえず下っている方へ。しかし下ったと思ったらその先は激坂で今度は反対の道に。ずっとはるか向こうの方に道がつながっていることを確認。行くことに。実はこの道は県道につながる白い道であるとわかったのはこの日のテン場。国道との合流地点の工事の会議室みたいな所の駐車場で昼食。2時は過ぎてたな。ここでおっちゃんにリポビタンDをもらう。一気に飲み干しゴミ箱に捨てようとするとそこにはリポビタンDだけが50本近く捨てられていてどんだけ好きやねんと思う。この後細かいフリーでサクサクと進むもなぜか何もないパンク要素ゼロの場所でパンク。萎えるも急ぐ。深い山々が続き二本杉峠までの道のりは今考えると、無理があったと思っている。峠はかなりの好展望らしいのだが、あいにくの霧で何も見えず・・・寒いのでさっさと下ることに。よく見ると遙か先に町の灯りが。あこまでくだるんかとほんき思えるほど長いダウン。下りきった後2人を待っていることに・・・正直かなり待った。たぶん合計1時間弱。南竹は途中でパンクしさらにスポーク1本おれていて、すごい状態で走ってきた。その後あたりを探索しに行ってた前田さんと合流し、コンビニで夕飯と翌日の朝飯買い出し。テン場が見つからないと前田さんがいってたがコンビニの目の前の青空市場が翌日は行われないとかかれていてここでテン場ることに決定。なかなか良いとこ。


3月6日 町の青空市場~椎矢峠~椎葉村

の日はいよいよ椎矢峠アタックの日。いつもより早く起きてテン場の前にあるコンビニで買いだし出発。内大臣林道の入り口までは県道で行くことに。しかしこの県道がとてもめんどくさい。アップダウンが繰り返し、こいでもこいでもなかなか距離が稼げなかった。黙々とこぐうちに入り口到着。当たり前やけどネットで見たのと同じだった。僕にとってはツアーで初めての本格ダートだったので、改めて息をととのえて出発。まずはほぼフラットのあまりがれていない道が続く。途中で長いトンネルがあってびビった。さらに進んでいると後ろから車の気配が・・・。よく見ると工事の会社の人っぽい

内大臣林道の崩落現場

。頭に崩落箇所で止められる自分たちの姿が浮かぶも気にせず進む。結構進んだと思ったが、チッソ目丸発電所が見えてきて、まだここかよと思う。なかなか進まないもんだね。もうしばらく進むと噂の崩落現場に到着。見た感じは間違っても死ぬほどのひどいものではない。いくつかのルート橋こえてわたるのとはしごがおいてあったのでそれを登るので越えられそうだったが、とりあえずパッキング解除してはしごを登ることに荷物を移動させていると橋越ルートの方に登山者らしい人がいと も簡単に越えて行かれてあっちの方が楽やったんかと思う。しかし気にせず崩落箇所を越えてパッキングし再び出発。ここで天気に異変が・・・。ぽつぽつしはじめたとおもって雨降るかなぁと萎える準備してたらよく見ると雪っぽくて、九州で雪に降られるかぁと感心してしまった。久しぶりに雪見ました。その後快調に走っていると、峠まで14,3キロの看板がありもうちょっとと思ったが、この先からわりとガレたダートになるし、雪が積もってタイヤがとられたりしてかなり疲れた

椎矢峠へ.雪の降った林道の景色はまるで別世界に入り込んだかのように美しかった

。しかもガードレールなんてものは当たり前のようになく崖から落ちると間違いなく即死の絶壁。崩落箇所よりひどいやんッテ思いながら走ってると、地面には同業者らしき人々の跡が、5,6本。やっぱり有名峠なんかぁと実感しました。そしてなんとなく木々が開けてきて、峠も近いというところに達すると、今まであつく覆われていた雲が、すごいスピードで東に進み、晴れに。峠着は11時45分。峠の看板が見えたときは、うれしくて焦ってしまい、手前10メートルくらいでなぜかこけてしまった。峠からの展望はすこぶる良し。土肥さんが沖縄までのフェリーで言ってたトイレもあった。水と食料か出せばテン場にすることも可能!お試しあれ。天気もほとんど快晴に回復。しかしさぶい。マップルの高度が間違ってるし。ほんとは200メートル高かった。2人を待ってる間にさっさとブレ調して峠の看板で風をさけることに。二人がきて寒いからさっさと写真を撮って下ることに。下りは登ってきたのより長く感じるほど延々ダート下り。てんきはだんだんよくなっていって寒さは和らいだが、振動で手ががががが・・・ダートから舗装路に入ってしばらくすると夏合宿で走った道に合流。あのときは雨の中はしったなと懐かしく思った。テン場には余裕の3時着。まだ明るいので少し観光をした。南竹はただくじを引いていた。おばあちゃんが懐炉くれたよ。明日は延岡まで走って輪行です。

椎矢峠.全てはこの峠のために


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