僕のラストレの話
佐藤陽介(04)
こうなった経緯
ほんとは土トレにしたかったが公正なジャンで負けてしまったためSトレになってしまった。Sトレで楽しくするには工夫が必要だけど僕にはそういった頭がないのでただ走ることにした。そんなのじゃ誰も来ないだろうから自分がまず走ってあのメールを流すことにした。そしたら少しはくるだろうと。
僕はえぐい人と思われているようだけど、まああたってるところもあるかもしれないけどそんなにえぐくない。萎えるよ。特に耐久分野においてはあれだけ紙面に耐久耐久しつこく書いている割にはアップには出たことすらないしフラットは二回も出ておきながら実質リタイヤしている。ようするに口だけのカスだ。そんな自分を変えたかった。今回はただ本当に自分を確かめたかっただけ。膝も悪かったし、フレてたし、前日の膳も残ってたけど、自分の気持ちというものが確かなのかを知りたかった。記録とか本数とかどうでもよかった。
終わる時間は日没の関係で1630としていたが、準備が早めに終わったので15:58:30にスタートした。別に24時間である必要は全くなかった。自分で決めた時間走ることができれば。24時間はひとつの目安。準備できたのに目の前にある坂を上らない理由がない。
1~5本
ゆっくり上る。一本十分ペース。5本目にて既に膝に違和感が。補給は最低でも5本に一回とした。記録つけるのがめんどくさくて2本目で挫折。24時間走れれば記録などどうでもいい。一応頭で数えていた。(何本・・・・・・何本・・・・・・)ひたすら今の本数を念じていた。あと何本でとか考えてもしんどいだけだからこれはよかったと思う。
5~20本
まだまだ余裕だが、車が異常に多い。人間うざい。
20~30本
さっきまで踏めたギアがどんどん踏めなくなってくる。シフトダウンして楽になってもしばらくして今度はそれが踏めなくなってくる。ペースダウン。
30本~40本
どんどんどんどん足がしんどくなってくる。「ギアを軽くすればいい」
寒い。「こげば暑くなる」
バナナ気持ち悪い。「それは体の正常な反応だ。耐え忍ぶしかない。ハンガーノックよりましだろ」
39本目でついにインナー導入。ふらふらする。幻覚が見える。対策思いつかず。
一本の雰囲気
「X本目いっきまーす」最初から傾斜はきつい。標識でゆるくなる。Uターンしてすこしまた傾斜ありだが、すぐゆるくなり右カーブ。そのあと少しずつ傾斜は増し工事のところからヘアピンまでが急。ヘアピンで緩やかになるがそのあとまた傾斜は増し、左カーブがいったん終わりまた左カーブが見えるところで傾斜は最大になる。そこからの直線は一定の傾斜が続く。右カーブして左カーブするとそこもきつい。夜中に「永遠に続く道」と名づけられた。そして左カーブ右カーブすればすこしゆるくなりやがてフラットになって分岐。前後確認して右折。少しフラットだがすぐに傾斜がきつくなる。二輪通行禁止の文字くらいから。その後標識マンホール通過し緩やかに左カーブマンホール横を通過してすこしゆるくなり右左カーブ。そこから右カーブしつつすこし傾斜が増すがその後はフラットで左カーブして一本終わり。後方確認。「X本目終了・・・Uターンします」Uターン。すこしペダルこぐ。最初がたがた。ブレーキ要らず。右左右左次はちょっと怖いけど思い切って突っ込んでOK右。そして外灯まで突っ込む。ブレーキT字路。左右確認。左の路駐注意。すこしこぐ。反射板が目安。左右はブレーキ要らない。次は少しブレーキして右左の連続カーブ。そこからがたがたの減速帯みたいになる。右カーブ1はあまり急でないのでブレーキは少しで大丈夫。次の2はカーブは急だがこちらは傾斜がないため加速しないことを考慮しないと速度が落ちてしまう。左ヘアピンはゆっくり安全にふくまらないように。その後は気をつけて左左。最後の右カーブは滑らないようゆっくり。そこからゆっくり下り減速し後方確認。「X本終わり。Y本目いっきまーす」ターン。
41本目
眠気を倒すため靴を脱ぎサドルを下げる。急激に体温が奪われ脳が警報発令。神経が研ぎ澄まされる。
43本目
靴下も脱ぐ。体温が奪われていくのがよくわかる。しかし眠気ではない何かが俺を蝕んでいく。
45本終了休憩中
「もう無理。怖い。見えない。へんなのが見える。寒い。気持ちわるい。何より楽しくない。」脳が走ることを拒絶した。「それでどうするんだ。寝るのか?帰るのか?帰る力なんてあるのか?どんな顔して帰るつもりだ?別のラストレする力が残っているとでも言うのか?みんなが来るまで休んで待っているのか?それじゃあやる意味ないだろう。」「でもしんどいんだ。つまんないんだ。この道上ったって戻ってくるだけじゃん。どこにも通じていないんだ。しんどいよ。しんどいよ。気持ち悪いよ。何よりあの見える変なもの(注*幻覚)をなんとかしてくれ」僕は坂を目の前に裸足で立ちながらずっと考えていた。頭の中で二人がずっと議論していた。そのまま15分が過ぎた。もう議論は出尽くしていた。僕は目の前の坂を上る勇気もなく、かといって上ることをあきらめることも決定できずにいた。何も考えずぼーっと坂を見ていた。どこからか神の声が聞こえた。
「・・・・・・・・・・・・まあ・・・行くしかないやろ」
!!!!!
衝撃が走った。心の底から全力ではぁ?(誰だ!そんなこと言うのは!馬鹿じゃねえの!ていうか俺かよ!うそ!)と思ったが俺はそれに導かれてチャリに乗った。「おいおいちょっと待てよ・・・」と思いながら体が勝手にターンする。「無理無理無理無理引き換えして倒れこもう」と数秒本気で考えたが、あの標識から緩やかになった瞬間僕はシフトアップをしていた。そして少し進んで街の光が見えて「あっ楽しい」と思った。
それでも確実に俺は何かに蝕まれていった。
それにしてもあの声は誰だったんだ?真壁さん?杉山さん?それとも・・・・
50本~60本目
何かの限界が来た。たぶん生命に関わっていたと思う。バナナを食べながら気を失った。裸足のまま何もなしで道路わきに丸くなる。足は服の上に置き膝にも服をかけ、脚は体で温め、体は脚で温める体育座りで眠りに落ちた。それが5時過ぎ。「もう暗いのはやだ!」
寒くて何度も起きた。6時に起きたとき明るくなっていた。足は感覚を失い真っ赤になっていた。幻覚はもう見えなかった。最大の障害は取り除かれた。「行ける!」何時間かぶりにとてもプラスの気持ちで坂を上り始めた。51本目。幻覚も眠気ももはやないため裸足でいる必要はない。靴を拾って履きサドル調整。明るく何の問題もないことを確認の上ラストレお誘いメールを流す。
11/16 6:27「東山1~∞」
「やっと明るくなりました。今日は1630まで東山でトレーニングします。その間暇を見つけて上りに来ませんか?一本でも上った方はトレーニング回数に数えます。それを私のラストレとします。すいませんが準備運動やアプローチは各自でお願いします。事故らないでね。暇な時間に一本だけ上って帰っていただいて問題ないです。メットをかぶり安全に帰ってもらえれば。一人でも多くの人と坂を上ること。それが私の喜びです。佐藤 まだ51本」
もし誰も来なかったら退部しようと心に決めていた。
8時前。桂に行かねばならない祐一さんが応援に。力が出る。
61~70本
休憩中9時過ぎに大山が来る。元気が出る。降りるときに楠と花井にすれ違う。泣きそうになる。元気が出る。花井はママチャリだった。花井がまた後で来ると言う。元気がでる。
65本目の休憩中一色さんが来る。元気が出る。増本を見る。元気が出る。山村がいる。元気が出る。大塚さんがいる。元気がでる。舟木がいる。元気が出る。
もう膝は痛いを通り越し鈍く重い何かになっていた。
71~80本目
ヒデ現る。元気が出る。岡田さんが来た。元気が出る。花井辻井関根もりけん三宅成田薮内竹中が来た。泣きながら走った。熱くなった。そして気づいた。俺はこんなにも集まってくれた人たちに報いる走りをしていないと。死ぬ気で走っていないと。
ただ俺は死ぬ走りというのを知っている。残念ながらあれは本当に倒れる。それやっちゃうと走りきれない。でもだからぜったい最後だけは死ぬ気で走ると心に決めた。とりあえず今はインナーを封じてみたらセンターで上れた。
のこり5本とか考え出すと無理としか思えないことに気づいたので無視して一本上ることだけ常に考えた。時間的に83本で終わると考えていた。
81本目
ラスト3と岡田さんに言った。が時間的にも体力的にも3本は物足りないと途中で気づき84まで上ろうと決めた。
82本目
ラスト3と岡田さんに言う。ちょっと重たいのを試す。いけそう。
83本目
ダンシングを封印した代わりに、一段軽いギアを許可する。なんとかなった。
ラスト
普段の東山のラストと同じルールを適用。許可する一番軽いギアを一段上げる。そしてシフトダウンも禁止する。前半はダンシングでなんとかなる。まだ余裕。そしてあの分岐フラットにつく。ここであろうことかシフトアップしてしまった!「いや軽いのから4枚目で上るはずだったでしょ?なにしてんだよ」こうなったら5枚目で上るしかない。後ろから岡田さんが来ていたが、歯飛したチャリで俺についてこれると思うなよと思った。
人生で一番命を削った。何も考えず唯目の前の坂を上ることに俺の全てをぶつけた瞬間
重たいギアで上るならとにかくスピードを出すしかない。今までの何倍ものスピードで上っていく。速く力強くダンシングダンシングダンシング。苦しいので吼える吼える吼える。うめき声とか奇声とかそんなもんじゃない。絶叫。岡田さんも喰らいついてくる。傾斜も少し緩んだ。ここでさらに加速!っと思ったとき急に全身から力が抜け意識が途切れかけた。急激に筋肉を酷使しつつ全力で絶叫したため酸欠になったのだった。一気に岡田に抜かれた。ちくしょう。だがとまるわけにはいかない。声をあげられないのでもう使えるものは唯根性のみ。意識をなんとか保ちながら踏み踏みフラットにつき最後のダンシング加速シフトアップダンシング加速シフトアップダンシング加速アウタートップダンシングダンシングダンシングダンシングダンシングゴーーーーーーーーーーーーーーーーーーール
ついた。なにもかもがすばらしい。すべてを手に入れた気がした。チャリを立てかけてから倒れた。やった。やった。やった。走りたいという意思を俺はゴールの瞬間持っていた。24時間以上走っても走りたいという気持ちはあった。不思議と涙はなく、笑っていた。(実際は顔を動かす力がなく変な顔していただろう。)
終わりに
多分みんなが来てくれなかったら70本くらいだったでしょう。これには何の誇張もありません。事実です。体力は何も変わらないけど精神的に走れます。ありがとう。
途中長く休んでいるし、眠ってもいるけど僕の中では初めての完走です。僕は僕を肯定します。
へぼかったけどお前にしてはよくやったよ
記録
競技時間:2006年11月15日15:58:30から途中たくさんの休憩を挟みつつ翌日16日16:24:00ぐらいまで。
アップ数:84本。16日15:58:30時点では82本。一本100はあるが110はない。ということで8000はしたが9000はしてないぐらい。
補給(消費量):バナナ25本くらい。板チョコ1枚。スポドリ200ml。
最高気温17.4度 最低気温6.9度 日照時間5.2時間 天気 晴一時曇 降水量 0.0
(※実は夜中に雨は降りました。非常に弱い雨でした。強くなれば中止するつもりでしたが、一応雨と呼べるという程度でほとんど支障はなくすぐに止んでしまったのでそのまま続けました。実際に京都の降水量としても観測されていません。しかし僕が06北山杉に書いた「少しでも雨と呼ばれる物が感じられたら中止する」という明確な基準案に早速反しました。でも今回この判断は正しかったと思います。とすると新たな基準を考えねば。降水量測ってみましょうか。)
追記
走っているときの苦しみはたいしたことはない。走れないのが苦しい。
耐久フラットの時のほうが自分を追い込んでいた。数字も今までのフラットの歴史でなかなかな数字だった。でもあのフラットは負けであった。今回のSトレはそんなに自分を追い込んでもいないし、数字としてもたいしたことはない。でも僕は勝った。
なぜかって・・・だってフラットはつまんなかったんだ。走るのが嫌だった。
でも今回は最後も楽しかった。
フラットで僕は追い込まれるとチャリになんか乗りたくなくなるということがわかってしまった。それまではどんな状況でも自転車に乗っていけると信じていた。でも僕はそういう人間じゃないということが分かったので、今回は24時間くらい楽しく走るという目的のためにすべて照準を合わせた。
「記録なんてどうでもいい」
だから最後まで走ることができたのだ。
なんか最後って表現がむかつく。ただの区切りだ。最後じゃねえ。これからも走る。
45本終了時
「走りたい」と「走りたくない」が戦争をしていた。
「走りたい」が勝利した。
それが今回の僕の全てだと思う。
50本終了時
「走れない」だった。「休む」しか頭になかった。結果としては「走る」ためになった。それは「ひよっている」が、まさにその通りだと思う。
でもあそこで走り続けていたら絶対最後までは走れていない。
目的が達成されていない。
俺はえぐいことがしたいんじゃない。攻めたことをしたいんじゃない。
楽しいことをしたいんだ。そのためならどんなことも厭わない。
僕は同じ楽しさの道なら楽なほうを選ぶ人間なようだ。でも面白くない楽な道より、楽しいしんどい道を選ぶ人間のようだ。それが分かってほんとうによかったと思う。
耐久アップに将来出るかはわからない。でも出るとしたら今回の経験を踏まえ、楽しく24時間走りかつ記録も狙いたいと思う。
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