マイナー地方をおいしく頂く旅

マイナー地方をおいしく頂く旅    fredy    3/21~3/25

 

一日目 小牛田~(輪行)気仙沼~神割崎~女川

本来の予定では一関まで輪行し、猊鼻渓を通って高田に出て、そこから気仙沼に行く予定だったのだが、一日では一関まで行くことができないことが仙台に着いてようやくわかったため、二日かけてそのまま気仙沼まで輪行してしまうことにした。

 気仙沼に着いた。この気仙沼には日本一焼き赤名がおいしい店があるということであるが、その店は予算4000円から、しかも開店は午後五時からという店である。今回は朝八時ごろに気仙沼についてしまったので、今回はこの店をあきらめて、観光客向けの市場で朝食をとることにする。交通の便があまりよくないためか、あまり俗化されておらず、いい感触の市場である。食堂には豪華ふかひれ丼というメニューもあったが、あまりにも高かったのでほかのものを頼んだ。

 食事後、市場をいろいろと物色する。気になったのが売店で売っていたふかひれソフトクリーム。ふかひれをそのままアイスに練りこんだわけではなく(いわく、練りこんでも味は普通の肴を練りこむのと対して変わらないとのこと)、ふかひれを普通のソフトクリームの上に載せるだけらしい。そのお値段なんと、450円。日本最高額は言い過ぎでも、日本有数の値が張るソフトクリームであろう。少し高すぎる気がしたので、もっと安いふかひれパンを購入した。全然ふかひれが入っておらず、自分の軽薄な行いを深く後悔することとなった。

 市場でお土産を購入したら、次の目標女川に向かうことにする。国道45号線は二桁国道といっても、あまり大都市のない三陸海岸沿いを行くので交通量が少なかった。三陸といえばリアス式海岸で知られているので、かなりアップダウンの激しいえぐい道を予想していたが、それほどしんどい道ではなく快適だった。道なりに海岸線を進み、神割崎へと到着する。真っ二つに割れた岩というのは確かにインパクトがあるものだが、何かが足りていない気がした。その後も海岸線を走って、日が沈むころにようやく女川の市街地に到着。テン場を探すための市街地情報がほしかったので、駅へと向かう。石巻線の終着駅かつ、石巻を中心とする広域合併にも屈しない女川町の中心駅であることから、大きな駅舎を期待していたが、そうでもなかった。駅の横に温泉施設で入浴した後、明日の行動食の買出しを済ませてから就寝した。

 二日目 女川~鮎川~金華山~石巻~松島~相馬

 今日は牡鹿半島の稜線を走る観光道路、コバルトラインを走り、捕鯨で知られる港町鮎川に向かうはずだった。しかし、目的のコバルトラインは痛恨の途中区間通行止め。迂回すれば通行止め区間の向こうまで行くことができたが、県道に下りてそのまま向かったほうが30キロほど近道になるようなのでコバルトラインは無視して進むことにした。

 9時ごろに鮎川の港町に着く。この町を簡単に観光してから石巻湾を渡り、石巻に向かう予定だったのだが、頼みにしていた船は午後一時出港。出向まで4時間もあるのにこの街では時間のつぶしようがない。しかし、このまま石巻へ向かうとすると、同じ道を戻ることになってしまいそうである。そこで、観光地として有名であるという金華山に当たることにした。シーズンオフだったので、金華山へと向かう旅客船はほとんど乗客がおらず、帰りの船は貸しきり同然の状態だった。船の出港までほとんど次官がなかったので、自転車は鮎川の船着場に置いたままで向かったのだが、神社へと向かうすさまじい激坂を見て、自転車を置いてきて正解だったと思った。

 鮎川の港に戻るとちょうど船が出港するまでまだ一時間ほどになっていたので、みやげ物の物色と食事を済ませてから石巻行きの船に乗る。この船は鮎川と石巻を直接結ぶのではなく石巻湾に浮かぶ二つの島を経由しており、これらの島と本土との連絡線をもかねている、というより、むしろそれが本来の役目である。石巻についた後、船の運行会社の事務所で差し入れと離島生活についてのパンフレットをもらった。差し入れのクッキーはおいしく頂かせていただいたが、パンフレットのほうはどう利用することもできずに下宿に放置されている。

 石巻から海岸線を伝ってひたすら南へと向かっていく。途中故人がみちのくはいづくはあれどと詠んだという松島湾を見たが、急いでいたせいか、はたまたあまのをぶねがどこにも見当たらなかったせいか、あまりすばらしい風景であるようには感じられなかった。仙台市外はパスしてひたすら南下し、福島県に入ったすぐのあたりの道の駅で就寝した。

 三日目 相馬~いわき

今日もひたすらに南へと下っていく。交通量の多い道がいやだったので、海岸線の国道六号線を避けて、内陸部の剣道を走ることにしたのだが、これが失敗だった。阿武隈高地はほとんど標高がないもののアップダウンがかなり激しく、それほど距離はないのにいやに時間を消費した。また、県内の主要都市を結んでいる二桁県道であるにもかかわらず、通った道は完全に国道の裏道と化していてほとんど商店が見当たらなかったため、相馬市内でろくに行動食を買っていなかった私は苦戦を強いられることになった。景色がまったく変わらない山道であるというのも精神的につらかった。

 いわき市に入ったところで山道から抜け出して海岸線へと出て、塩屋崎を目指す。何の知識もなしで行ったのだが、この岬は美空ひばりの復帰第一曲目となった、みだれ髪の舞台になったことで有名な岬らしい。しかし私はそんなことを知るどころか、近づくと乱れ髪が流れるようになっている美空ひばりの遺影を見るまでその顔についての記憶すらなかった。たとえ美空ひばりが昭和時代の象徴であるという考えが、団塊世代をはじめとする年代のものであり、決して私たちの世代が生み出したものではないとしても、自分があまりにも美空ひばりについて知らないということは、私に自分小たとえ戸籍上では昭和の生まれとなっていても、実際には平成の世に生まれた人間となんら代わりがないのだという考えをおこさせた。岬へと伸びる階段は、開放時間外ということで閉じられていたので、岬からの眺めを見ることはできなかった。まあ、どちらにせよ入場料を取るようだったから、早い時刻についていたとしても上には上らなかったと思うが。

 海岸線をさらに進んで小名浜市街へと向かう。マップルに載っている市場食堂が、夕方まではやっていないだろうと判断して、ほかの店で夕食をとることにする。しかし、夕食をとった後になってから観光客向けの市場を発見して、少し後悔した。

 四日目 いわき~勿来関~那珂湊~潮来

 朝食を済ませるとまずは勿来の関へと向かう。 勿来の関→ と書いた看板の行き先が効果になっていたため、井倉なんでもそっちじゃないだろうと判断してしばらく進むと、飲酒運転取締り用の勿来検問場があった。今も昔も取り締まりは厳しいようである。さらに進むと石造りの大きな関を模したオブジェがあったので、それをくぐって勿来の関跡へと向かう。この地名を勿来というのは、関が作られた際に、当時恐れられていた蝦夷が攻めてかないことを願って名づけられたからだという。関自体は早くに廃されたが、その後も多くの文人が訪れたため白河・念珠他の山間と並んで歌枕として名高くなり、多くの詩歌に詠まれたという。そのため、多くの詩碑を見ることができた。

 勿来の関を越えて茨城に入る。昨日のような山道には飽きたので海沿いの6号線を進んで行く。いわき市付近の6号線にはいわきサンシャインロードという愛称がついているため、どんな天気になるか心配であったが、結局曇りであった。なんとなく残念である。ひたすら海沿いの国道を走り日立、原発で有名な東海村と過ぎて那珂湊へと向かう。当日が土曜日であったこともあるが、関東一円から安くてうまい魚を求めて人が集まるというだけあって多くの人が訪れていた。家族連れが非常に多く、こんなところにたった一人でやってきた自分がひどく場違いであるような気がした。市場の中の適当な店で焼魚の定食を食べた後、さらに南下する。茨城県というとこれまでは東京都に隣接していることから都会のイメージが強かったが、鉾田を通って潮来へと向かう道は農村風景そのものであり、久しぶりに中学校の社会で習った近郊農業という言葉を思い出した。鉾田のコンビニでは、この3月で廃止される鹿島鉄道の廃線を惜しむ記念商品が売られていて、なんとなく乗りたい気分になったが、もう暗くなっていたので、そのままテン場の潮来の道の駅に向かうことにした。潮来までの道にはたくさんセイコーマートがあったので、記念にカードを作っておくことにした。きっとまたいつか役に立つだろう。

 5日目 潮来~鹿島神宮~(輪行)~京都

本来の予定ではこの日は犬吠埼まで行って、銚子から輪行して帰るつもりだった。しかし、寝ている間に吹き荒れていた嵐が朝になってもやまず、そのために走る気がしなくなったので、テン場の近くにあった鹿島神宮だけ観光して帰ることにした。鹿島神宮と、その所在する鹿嶋市はその字が違っているが、これは母体となった鹿島町と大野村が合併しようとした際に、すでに佐賀県に鹿島市(こちらはガタリンピックと祐徳稲荷神社で有名)があったため、仕方なく鹿島神宮の祭神である武甕槌命の前身である鹿嶋天之大神からこの字を取ったのだという。また、鹿島神宮にはその名のとおり、多くの鹿が住んでいた。この神社の鹿が藤原氏によって奈良に春日大社が創建された際に奈良へと送られ、現在の奈良公園の鹿の祖先になったといわれている。しかし、現在鹿島神宮の鹿苑に住む鹿は何世代もの交配の末、奈良の血統をも受け継いでいるため奈良の鹿との関係は複雑なものとなっているらしい。この鹿の角にちなんで名づけられたのがサッカーチーム鹿島アントラーズである。鹿島アントラーズのおかげで鹿島神宮の観光客も増えたらしく、境内には鹿島サッカースタジアムへの近道の案内がなされていた。歩いて2.7キロはどう考えても近道ではない気がした。

 観光を終えたら鹿島神宮駅へと戻り、輪行の準備をする。ゆっくりかしまじんぐうを観光したせいで時間が危ない気がしたが、何とか最終の新快速で京都につけることを確認する。その後近くの店で弁当を、そして自販機でちばらき県名産のマックスコーヒーを購入してから鹿島神宮発千葉行きの普通列車に乗り込んだ。

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